タイトル
K-19(原題:K-19: The Widowmaker)
概要
2002年のアメリカ/イギリス/ドイツ/カナダ合作映画
上映時間は138分
あらすじ
米ソ冷戦下のソ連では、原子力潜水艦のK-19を完成させた。ボストリコフ艦長のもと、航行実験を行っていたが、原子炉の冷却装置に故障をが発生し、危機的状況に陥ってしまう。
スタッフ
監督はキャスリン・ビグロー
音楽はクラウス・バデルト
撮影はジェフ・コローネンウェス
キャスト
ハリソン・フォード(アレクセイ・ボストリコフ)
リーアム・ニーソン(ミハイル・ポレーニン)
ピーター・サースガード(ヴァディム・ラドチェンコ)
感想
ソ連の原子力潜水艦「K-19」が1961年7月4日に実際に起こした事故をもとに製作された。約1億ドルの予算に対し、北米で3,500万ドル、全世界でも6,500万ドルの売り上げにとどまった。
本作で起こる出来事はソ連の出来事であるが、メインキャストにロシア人は一人もキャスティングされておらず(ハリソン・フォードとピーター・サースガードはアメリカ人、リーアム・ニーソンはイギリス人)、全編英語で製作されている。かつても非英語圏のヨーロッパが舞台の映画なのに全編英語というハリウッド映画は山ほどあった。本作に関して好意的に解釈すると、ソ連の陥った危機をアメリカが批判的立場ではない立場で描けるほどになったということなのだろう。
冷戦下における、ソ連はアメリカに数で劣る原子力潜水艦の数を増やすべく、「K-19」を決して万全とは言えない状態で航行実験に送り出すことになる。さらに、その艦長としてソ連政府が送り込んだのは自身の昇進を目先の目標と考えるボストリコフである。意地でも成功させたい航行実験と、意地でも昇進したい男はソ連からすれば噛み合わせの良い組み合わせだろう。多少の犠牲を払ってでも、ちょっとしたトラブルは気にせず強引に進めるリーダーシップのある男が求められたのだろう(それぐらいの無理をしないとアメリカには勝てないと思っていたはずだ)。こういった国家間での保持する兵器の数を競うことになると、たとえ敵を攻撃する意思がなかったとしても万全ではない状態で実験などをすることになり、最終的に自滅するだけでなく、巻き添えを出してしまう可能性があるという教訓は得られる。
そして、本作は実話ベースでありながら、物語的な裏切りもある。冒頭の訓練シーンは分かりやすいとして、艦長を逮捕してポレーニンが艦長になるかと思いきやポレーニンは艦長を解放したり、求心力を失っていたボストリコフに皆が命令に従うと言ったり、裁判になったボストリコフが無罪になったりする。艦長をよく思っていなかったポレーニンは、艦長を逮捕した男を捕まえて、その男を裏切り者扱いする。艦長をよく思っていないことと、わざわざ艦長を引きずり下ろすことで秩序が乱れることを別に考えているんだと思うが、観ているうちは観客に後者の考えの余地はあまりない。それに、各エリアの責任者がボストリコフ艦長の命令に従うことを言っていくシーンも、なぜそのように思うに至ったのかの描写がまるでない。それまでの乗組員の描写では艦長を毛嫌いしていたはずだし、ソ連のためにとまで思って乗艦している乗組員も見られない。
この点について、2022年に始まるロシアによるウクライナ侵攻を考えると、ロシアでは徴兵されても逃げ出す人やすぐに投降する人がいるというニュースもよく聞くようになった。もちろんソ連が崩壊して今のロシアがあるわけだが、当時のソ連にはまだソ連の上層部や目の前にいる上官に対して忠実でなければならないという意思はあったのかもしれない。
そんな中でも最も人間臭いキャラクターと言えるのがピーター・サースガード演じるヴァディムである。ヴァディムは原子炉を担当する専門家だが、現場経験がなく、ボストリコフ艦長が連れてきた男でもある。艦長が出港前の視察で酒浸りの男を更迭したからこの男がやって来ることになったのだと思うが、この潜水艦の中で最も重要と言える場所を任せる男が現場経験のない若者になってしまうということの恐ろしさである。それだけソ連に余裕がないということなんだが、「まぁ大丈夫だろう」という慢心もあったのだろう。このヴァディムは危機的状況に陥ると、放射線に晒される現場を前に恐怖から逃げ出してしまう。今まで他の潜水艦にも乗ってきた乗組員と初の現場に当たるヴァディムには大きな隔たりもあるだろう。10分間という時間制限で、まともな防護服もない状況で作業に当たる乗組員は10分後には嘔吐してまともに立っていられない状況に陥る。この場面はかなり強烈で、ヴァディムにも同情せざるを得なくなっている。
乗組員の死を覚悟した活動のおかげで一旦危機的状況から脱するが、付け焼き刃の修理ではうまくいかずに再び危機的状況に瀕してしまう。そこでヴァディムは今までの失態を取り戻そうと、10分という時間制限を超えて単独で修理作業を始める。そして、失明するほどの状態になったところで艦長自らが助けにやって来る。国家のためではない、何かのためにこの2人は命を賭して行動に出たのだ。米ソ間での先の見えない武器開発競争が盲目的になっているともとることができる。
改めてアメリカという立場で本作をどう見たか考えてみる。当時の米ソ冷戦下で宇宙開発や核兵器の開発など各分野でしのぎを削っていた両国。アメリカが核兵器を増やせば、ソ連も増やしていく。すでに世界中を破壊できるほどの武力を保持してもなお武力を増強させていった。その競争の結果、本作のような事故が起こったとも言える。もちろん本作の事故の被害者はソ連国家、ならびに軍の中であまりにも厳しい目標を課したり、安全管理を怠って進めたことに大いに問題があったのは事実だろう。その一方で、全世界を破壊できる武力を持っていてもなお新たな武力を保持することにどれほどの意味があるのか。相手にミサイルを撃たせないための武力開発が過熱した結果として、杜撰な管理のK-19が核のコントロールを失い、近くにいたアメリカ軍の駆逐艦を巻き込む核爆発を引き起こしていたかもしれない。そして、もしそうなれば艦長が言っていたように、母国に核攻撃が待っていたことだろう。加熱する競争の結果、求める結果が高くなり、それに耐えきれずに自滅、あるいは道連れを招いていたかもしれない。この事例だけ見ても軍事バランスの難しさを感じる。
本作は潜水艦映画として、意見の対立や閉塞感、トラブル発生時の緊張感などジャンル映画として及第の評価は十分に下すことができると感じた。
吹替情報
①ソフト版
②テレビ東京版(2006年8月17日「木曜洋画劇場」)
※HDリマスター版Blu-rayにテレビ東京版の日本語吹替を収録
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